向こう側

 放課後の薔薇の館。いつもなら山百合会メンバーが集うこの時間帯にも関わらず、ビスケット扉の先にいるのは紅白の蕾だけ。
 椅子に座っているのは福沢祐巳。対して二条乃梨子は台所でお茶の準備を進めている。
「ごめんね。私の分まで用意してもらっちゃって」
「いえ、別に。こういう場合、下級生が率先して用意をするのが打倒だと思っただけですから。
 祐巳様はお気になさらずに」
 いつもと同じ淡々とした口調の乃梨子に、祐巳は「ありがとう」と頭を下げる。
 別に祐巳が上級生の特権を行使したわけではない。
 薔薇の館の近くで合流して、ビスケット扉を潜ったのは2人一緒。
 お茶の準備をしようとした祐巳を乃梨子が押し止め、今の形と相成った。
「…志摩子さんが羨ましいなぁ。
 乃梨子ちゃんみたいなしっかり者の妹がいて……」
「そう思われるのでしたら、祐巳様も妹を御作りになられてはどうですか?
 そうしてくだされば、私の仕事も減って大分楽になるんですけど」
「……痛いところついてくるね」
「同級生がいない状況というのは、精神的にあまりいい物ではないんですよ。
 由乃様も祐巳様も一向に妹を御作りになられないので、正直心細いです」
「…肝に銘じておきます」
 下級生にお説教される上級生というのは如何な物か。
 同族であるもう1人の蕾は現在部活動の真っ最中。そのお姉さまも付き添いで竹刀を振っている。
 乃梨子のお姉さまは環境整備委員会の仕事で土いじり。救いの手が現れるのはまだ先の話。
 祐巳のお姉さまがまだこの場にいないことは不幸中の幸いとしか言いようがない。
 もし仮にいたとしたら、乃梨子と一緒にいじめられることは目に見えている。
「……目に付いた下級生のタイでも直してみようかなぁ」
「タイ?」
「うん。私とお姉さまが姉妹になったのも、それがきっかけだったから。
 ……まぁ、最初は完璧に忘れ去られてたけど。
 記憶に残るような顔立ちじゃないし……」
 きっかけとなった日を思い出して、祐巳は深くため息をついた。
 マリア様の前でタイを直されたあの日。放課後の薔薇の館で突然妹にするなんて宣言されたあの瞬間。
 あの時の自分が今の自分を見たらどう思うか。
 胸元のロザリオに手を添えつつ、祐巳はビスケット扉に目を向けた。
「……あれから、1年か。
 いろいろあったけど、あっという間だったなぁ」
 近い記憶で言えば、夏休み。お姉さまの別荘にお邪魔したり、ドッキリを仕掛けてみたり。
 その少し前はあまり思い出したくない。ちょっとしたすれ違いで訪れた姉妹関係の危機。
 乃梨子が山百合会の一員となったのも、丁度その頃だった。
 春休みの前は前薔薇様方の卒業式。2月には宝探しにお姉さまとの初デート。
 蟹名静様は今頃どうしているだろうか。
 目をつぶって思い出に浸る祐巳を呼び戻したのは、すぐ側で聞こえた物音だった。
「どうぞ」
「あっ、ありがとう」
 乃梨子に笑顔を向けて、祐巳は淹れたてのお茶をすする。口の中に広がるのは自分好みの甘さ。
 本当にしっかりした子だと思う。人の好みを把握するなんて早々出来ることではない。
 祐巳が知っているだけで過去に1人。前白薔薇様は出会って間もなくで好みを把握されていた。
「……あっ」
「どうかなさいましたか?」
「あ、ううん、別に。
 ただ、ちょっと思い出したことがあって」
 慌てた様子で取り繕う祐巳に、乃梨子は怪訝な表情を浮かべるも特に追求はしてこない。
 落ち着いた様子でお茶をすすりながら、「皆様遅いですね」なんて呟く。
 どっちが上級生なのかわかりゃしない。
 なんとなく悔しさを覚えた祐巳は、しっかり物の下級生を困らせてみたくなった。
「ねぇねぇ、乃梨子ちゃん」
「なんですか?」
「あのさ、自分たちが物語の登場人物なんじゃないかって考えたことある?」
 祐巳の謎掛けに、乃梨子は初めて表情を変えた。
 この人何いってんだといった、呆れ顔に。

「……それは新手のなぞなぞですか?」
 沈黙が続くことしばらく、乃梨子は何とか言葉を搾り出した。
 正直、そうであってもらいたいという願望の表れでもある。
「違うって。
 今のをどう解釈すればなぞなぞになるの?」
「……わからなかったから聞いたんです」
 乃梨子の一縷の望みは、先輩の手によって直々に切り払われてしまった。
 「ねぇ、ある?」なんて首をかしげる祐巳に、乃梨子は深々とため息をついた。
「祐巳様」
「なに?」
「一度、病院に行かれたほうがよろしいですよ」
 前々から少し頭の様子がよろしくないとは思っていた。
 哀れみのこもった笑みを向ける乃梨子に、祐巳は「へ?」と首をかしげる。
 さっきとは違った、微妙な沈黙が漂うこと1分。
 祐巳は不満といった表情で頬を膨らませた。
「……乃梨子ちゃん、ちょっと聞いてもいい?」
「はい」
「ちなみに、それはどんな病院?」
「そうですね。設備の整った大きめの病院のほうがよろしいと思いますよ。
 脳神経内科なんて診療所にはありませんから」
「え〜と…違ってたらごめんね。
 それはつまり、あなたは頭が悪いので診てもらえって意味かな?」
「いえ、そこまでは言っていません。
 頭が悪いようなので一度診てもらった方がいいという意味です」
「は、はっきり言うね……」
 ぴくぴくと祐巳の眉が引きつる。さすがは百面相と称されるお方だ。
 何を考えているか手に取るようにわかる。
「そんな、『この後輩はなんて礼儀知らずな。マリア様が見てなければ殴ってやるところなのに』なんて顔しないでください」
「……どんな顔よ、それ」
「自分で言ってて分からなくなりました。
 …祐巳様がそう思われるのは仕方ないことだと思いますけど、誰でも同じ事を言うと思いますよ?
 なんの脈略もなく、変な質問をされては」
「まぁ、確かに脈略はなかったけど……でも、そんなに変な質問?」
「はい。
 物語の登場人物じゃないかなんて、普通は考えませんよ?」
「私だって何もなかったらそんなこと考えないよ。
 …ただ昔、そんな風に考えたことがあって。
 それを思い出したから聞いてみただけ……ボケたわけじゃないの」
 ぷんぷんと頬を膨らませつつ、祐巳はお茶をすする。
 失礼しましたと頭を下げて、乃梨子もまたお茶を手に取った。
「……それで、祐巳様はなぜそんな事を考えたんですか?」
「無理に広げなくてもいいよ。どうせ、変な質問ですから」
「拗ねないでください。純粋に疑問に思ったことです。
 話したくなければ話さなくてもいいですよ。ただの世間話ですから」
「……乃梨子ちゃん、もしかして私のこと嫌い?」
「嫌いな人と一緒にいられるほど、私は出来た人間ではありません」
 遠回りな返答をする乃梨子に、祐巳は妙に納得したように頷く。
 ちらりとそれを覗き見て、乃梨子はふぅっとため息をついた。
「……『嫌いな人には嫌いって言うタイプだよね〜』なんて思ってません?」
「そ、そんなこと思ってないよ。
 えっと、どうしてあんなこと考えたかって話だよね?」
 取り繕うように笑いながら、祐巳は話を戻そうとする。
 いろいろと突っ込みたいところだが、これ以上先輩をいじめるのは何かとまずい。
 乃梨子は「そうです」と話を戻した。
「……乃梨子ちゃんは『いばらの森』っていう小説知ってる?」
「確か、リリアンを舞台にした小説だったと聞いたことがありますけど…」
「実はね。『いばらの森』が発売した時、学園にちょっとした噂が流れたの。
 前白薔薇さま……志摩子さんのお姉さまが書かれたのではないかって」
「志摩子さんの…お姉さまが」
「実際のところは違ったけどね。でも、『いばらの森』が実際にあったというのは本当の事なの。
 ずっと昔の事だったけど」
「調べたんですか?」
「由乃さんが燃えちゃったから」
 祐巳の浮かべる苦笑に、乃梨子はすべてを理解した。
 つまるところ、巻き込まれた。そういうことなんだろう、きっと。
「…それで、その『いばらの森』と先ほどの質問がどう結びつくのでしょうか?」
「最初は『実際に起こった事を小説にするなんてすごいなぁ』っていう感想だったの。
 私だったらどんな小説になるのか、どんな人たちが出てくるのか……そんな事を考えてたら、ふと思ったの。
 そもそも、この世界が小説なんじゃないかって」
「……ぶっ飛びますね」
「いや、確かに行き過ぎたとは思うけど……。
 …でもね、そう考えたら少し怖くなってきた。
 自分やお姉さまや山百合会の人たち……この世界にある物すべてが作られた物なんじゃないかって考えちゃったから」
 暗い表情で呟く祐巳に、乃梨子は息を呑んだ。
 この世界が作られたものだったら、それは恐ろしすぎる考え方。
 過去も、現在も、未来も。すべては作者が考えた筋道を通り、決まった形へと突き進む。
 夢も希望も気持ちも何もかも、作者の思惑から離れることが出来ない。
「……怖いですね、そう考えると」
「うん、怖かった」
「…かったという事は、今は怖くないのですか?」
「自分なりに答えは出したから。
 こじ付けかもしれないけど……でも、気は楽になったよ」
「…そうとう長い間考えていたんですね」
「……。
 …乃梨子ちゃん、なんか含みがあるように聞こえるんだけど?」
「気のせいです」
 しれっと返しつつも、乃梨子は許されるなら首を横に振りたい気持ちだった。
 鉄仮面を被るのは祐巳の疑問を否定したい気持ちの表れ。
 この世界が現実であるなんて証明する手段なんてない。
 むくれる先輩の様子に、場の空気が変わったことを実感する。
 そうなると、乃梨子は少々面白くない。
 祐巳の質問に翻弄された気がして、正直悔しい。
 ころころと表情変えて、今では穏やかにお茶をすする先輩を困らせてやりたくなるのは自然の摂理。
「…祐巳様」
「なに?」
「この世界が小説だとしたら……祐巳様はどのようなタイトルをお付けになりますか?」
 お返しとばかりに放った質問に、祐巳は穏やかに微笑んだ。

「……『マリア様がみてる』かな」
 目をつぶって祐巳はそのタイトルを口に出す。
 乃梨子の言うとおり長い間考えて、答えを出して、そして行き着いた小説のタイトル。
 暖かな気持ちで目を開ければ、ぽかんと口を半開きにした後輩の姿が目に入った。
「どうしたの?」
「いえ、意外とまともなタイトルだったので……。
 てっきり、『福沢祐巳のリリアン体験記』なんてタイトルが飛び出すのではないかと」
「主人公なんて柄じゃないよ、私は。
 子狸の学園生活を題材にしたところで、読者は楽しくないって」
「……そんなことはないと思いますけど」
「無理しなくてもいいって。自分の立場ぐらい理解してるよ。
 ……それに、私が主人公じゃお笑い小説になっちゃうって」
 何事も平凡。ドジで百面相の頼りない女の子。
 どう考えても主人公になれるはずがない。
 その立場は他の方々のほうがしっくり来る。
「もしかしたら、乃梨子ちゃんが主人公かもよ?」
「私が? ……それこそ、ないでしょう。
 仏像が趣味の偏屈な女の子が主人公じゃ、まさにお笑いですよ」
「じゃぁ、お互いに主人公じゃなさそうだね」
 くすくすと笑う祐巳に、乃梨子も「そうですね」と頷く。
 主人公の立場にいそうな人といったら、薔薇様と呼ばれる方々の誰か。
 やっぱりお姉さまかな、なんて妹バカをやっていると乃梨子が口を開いた。
「ところで、『マリア様がみてる』というタイトルはリリアンが舞台になってるからですか?」
「うん、それもあるけど……他にも意味があるよ。
 小説の中の登場人物と読者の関係を考えてたときにね、ふと思いついたの。
 ……マリア様って読者の方々を言うのかなって」
「……またぶっ飛びますね」
「そうかな? マリア様はいつも私たちを見守ってくださっている。
 けれど、実際に手を貸してくださることはないでしょ?
 それって、小説を読んでる読者にも同じことが言えるんじゃないかなって、私は思うの」
「なるほど…それは一理ありますね」
「でしょ? マリア様は私たちの事を見守ってくださっている。
 本を手にとって下さった人の数だけ。
 けれど、直接手を差し伸べることは出来ない。作者じゃないから。
 ……だから、マリア様は夢を見る。
 登場人物の誰かがある場面で違った行動を取ったらとか……そんな、もしもの話を」
 小説だったら、自分たちの運命は1つしか定められない。それは本筋の話。
 マリア様の人数だけ話がある。運命がある。
 何も決まっていない。現実だろうが小説だろうが関係ない。
 それが祐巳の答え。
「俗に言う二次創作ですね、それは」
「二次創作?」
「小説やアニメなどの話をいろいろな人がいろいろな展開を考えて書いている小説のことです。
 インターネットの世界では結構主流なんですよ?」
「詳しいね、乃梨子ちゃん。
 もしかして、読んだことあるの?」
「いえ。仏像の情報を収集してるときにたびたび目に付くので。
 SSとかFFとか他にもいろいろと呼び名があるみたいですよ」
「ふ〜ん……それじゃぁ、私たちの世界が小説だった場合、それはMDって呼ばれてるのかな?」
「マリア様の夢でMDですか……」
「そういうこと」
 さっしのいい後輩に、祐巳は人差し指を向けて正解の意を返す。
 「安直ですね」なんて言葉が聞こえてきたがそんなのは無視。
 最後に残ったお茶をすすると、祐巳はお代わりを淹れに席を立った。
「乃梨子ちゃんは、お代わりいる?」
「あ、それなら私が……」
「いいって。さっき淹れて貰ったお礼。
 あと、変な話に付き合ってもらったから」
「…最初は変だと思いましたけど、でも楽しかったですよ」
「ありがとう」
 乃梨子からカップを受け取って祐巳は台所へと向かう。
 カップを軽く洗ってお茶の準備を進めていると、乃梨子が「でも」と口を開いた。
「……もし、この世界が小説だったら、たぶん二次創作でしょうね」
「なんで?」
「この時間に誰も来ないなんて、無理やり来させないようにしてるとしか思えません。
 ……相当、未熟なマリア様ですね」
 やれやれとため息を付く乃梨子に、祐巳は引きつった笑みを浮かべた。
 ……悪かったな、畜生。

 〜fin

あとがきという名の戯け言

 「Natural & Free」に投稿していた作品、第二段。
 ネタとしてはずいぶん前から考えてたものだったんですけどね。
 マリア様がみてるのSSとして書いたほうが面白いと思って、この作品が出来ました。

 もともと祐巳と瞳子で進めていこうと思っていました。
 が、原作のほうがなかなか姉妹にならないんで、それは断念。
 変わりに乃梨子を登場させたところ……個人的には割りとしっくりきました。
 ……まぁ、最後にかなり辛らつなこと言われましたが。